Founder's vision
創設者の思い
創設者 荒川まん先生の情熱が紡いだ物語
1889 - 1986
女子教育に人生を捧げて
物語は、明治22年(1889年)、現在の茨城県日立市川尻町で、森嶋まんとして生を受けた一人の女性から始まります。
若き日の記録はほとんど残されていませんが、荒川まん先生の内に秘めた情熱は、19歳で結婚し、福島県で裁縫伝習所を開設したという事実からすでに感じられます。
近隣の娘たちに裁縫を教える日々の中で、荒川まん先生の心に新たな理想が芽生えたのでしょう。


知行合一の精神を胸に、学校創設へ
教えることの奥深さに触れた荒川まん先生は、さらなる高みを目指します。
大正6年(1917年)には、東京の渡辺裁縫女学校に入学。正式な裁縫技術と教育法を学び、地元日立へ戻ります。
大正12年(1923年)、現在の城南町に裁縫塾を開くと、その卓越した技術と指導力は評判を呼び、多くの生徒が集まりました。
そして、2年後の大正14年(1925年)、夫の純一郎氏とともに、明秀学園日立高等学校の礎となる「助川裁縫女学院」を創設したのです。
困難を乗り越え、理想を追求
昭和2年(1927年)、新校舎が建設され、第1期卒業生を送り出すと、学校は教育活動に勢いを増していきます。
昭和6年(1931年)、荒川まん先生は「女性が自立できる実力」を身につけるという大きな理想を掲げ、「助川高等家政学校」を併設。
この年、夫と死別するという悲劇に見舞われながらも、荒川まん先生は自らが校長となり、強い信念で教育に邁進しました。


戦火を越え、新しい時代へ
戦況が激化する昭和18年(1943年)、荒川まん先生は学則を改正し、日立市初の専門的女子教育機関を確立しました。
戦災で校舎が全焼するという絶望的な状況に直面しても、荒川まん先生の教育への情熱は決してくじけることはありませんでした。
日立製作所の青年学校寮を間借りして学校を再開すると、翌年には現在の地へ移転。
戦後の学制改革を経て「日立女子高等学校」として新たな一歩を踏み出し、商業科や家庭科を併設するなど、時代の変化に対応した教育を次々と展開していきました。
生涯を教育に捧げた功労者
数々の栄誉に輝きながらも、荒川まん先生の本領はあくまでも学校現場にありました。
昭和38年(1963年)には教育功労者として藍綬褒章、昭和42年(1967年)には勲四等瑞宝章など数々の顕彰を受けながらも、昭和58年(1983年)まで理事長を務め、生徒の成長に心を砕き続けました。
そして昭和61年(1986年)、98年の生涯を閉じられたのです


受け継がれる「挑戦」の心
その後、平成8年(1996年)に学校法人明秀学園「日立高等学校」へと校名を変更。
平成13年(2001年)には「明秀学園日立高等学校」と現在の学校名になりましたが、創設者荒川まん先生の「知行合一(ちこうごういつ)」、すなわち「知識を行動に移す」という創業の精神は、今も変わらず私たちの心に燃え続けています。
生徒を深く愛し、その成長に人生を捧げた荒川まん先生は、きっと天から私たちの挑戦を見守ってくれていることでしょう。
創立100周年を迎えた私たちは、これからも荒川まん先生の熱い想いを胸に、新たな時代を切り拓いていきます。